「笑の大学」を観る。

いや、やっぱり面白いわ。三谷幸喜


登場人物の少なさ、ロケーションのほとんどが取調室(?)ということから、どうしても、演劇チックになるから、という理由があるにしても。
うまいねぇ〜。
もちろん、監督・星護の力もあるんだろうけど。


でも、稲垣メンバーのキャスティングは、ちょっとなぁ...
滑舌悪くって、引っ掛かりを感じるよね?
役所広司の演技は、素晴らしいと思うんだが、ね。


で。
三谷幸喜にしろ、宮藤官九郎にしろ、演劇出身の脚本家の台本って、どうして面白いんだろう?(そういえば、サマータイムマシン・ブルースも、元は舞台だよな)
と、考えてみる。


やっぱり、面白みを、役者と役者の台詞のやり取りの中から生み出そうとするから、なんじゃなかろか。
もちろん、台詞の無いシーンもあるけど、でも、それは、「間」なんだよね。
舞台の上で、役者が対峙して、次の台詞が吐かれるまでの、その間の観客の視線の移動が、ショットになっていたりするんだな。
コジャレただけの、小津リスペクトな視線固定のクソつまんないショットを挟んだりなんかしないんだよwww


昔、筒井康隆がなんかのコラムかなんかで、「テレビ役者はダメだ。テレビの感覚での演技は、リアリティを求める為に、表現が小さくなるから」みたいなことを書いていたんだけど。
それを読んで、当時(多分、10年くらい前)のオイラは、「いやいや、舞台の演技みたいな大げさな演技なんて、興ざめするでしょ。リアルな方がイイじゃない」って思ってたんだけど。
それって違うんだって云うことに気が付いた36の夕暮れ。


やたらめったらと大げさな演技を求めるんじゃなくって。
大げさな演技を必要とするシーンを用意するんだね。
だから、大きな演技ができる役者が必要になるんだな。
怒号を発するのも、号泣するのも、爆笑するのも。
その劇中の登場人物の、感情の振れ幅を大きくすることで、演者に、大きな演技をさせるんだ。


それを、緩急付けて、リズミカルに繰り返すことによって、その劇に、テンポが生まれて。
観衆を惹き付けることが出来るんだな。


だから、二時間の尺で、その時間を通して、楽しめる作品になるんだな。
だから、テレビ出身の監督が映画を撮ると、途端に面白くなくなったりするんだな。
岩井俊二とか三木聡とかwww


などと、唯の観るだけの人が、偉そうに講釈タレてみる;-p